踏んばり時って訪れる

今宵は、どこからともなくやって来た、心の内側を大きくかき乱すような気持ちに襲われていた。

 

久しぶりに、嵐のように荒れる心で、思いつく限りの、大天使さんたちの名前を口に出していた。

その荒れるようななんとも言えない感情から、極力意識の焦点を外したかった。それに巻き込まれないようにするための自衛のような感じ。

アズラエルが妙にしっくりきたので、何回か繰り返しつぶやいていた。彼のサポートがあると確信する。

 

巻き込まれないようにはするのだけれど、その嵐のような感情から逃げたくはない。

だから、もうとにかく、その嵐の中で踏んばるような感じ。

 

今日は折しも射手座の満月🌕

満月を眺めながら、その嵐のような感情が少しずつ、"ごめんなさい"という言葉に変わっていった。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい」って、口に出して言いながら、泣きそうになった。少し泣いたかな。

なじられてもいいと思った、きっとそれだけのことをわたしはしてきたんだろうと。

たくさんたくさんやったんやろうと。

 

でも、わたしは今ここで救われている。

家族に愛され、友人に愛され、楽しく日々過ごしている。

やりたいようにやらせてもらっている。

 

だから祈った。

どうか、罪と呼ばれるようなことをたとえしたとしても、そう自分で感じることをしたとしても、自分で自分を責めないでほしい、と。

みんなみんな救われますように、と心から願った。

 

大きな統合があると、いつも思う。

結局、大きな愛に氣づくステップなんやなと。

不快な感情もモヤモヤも、紐解いていくと、愛に行きつく。

しかもその愛は、果てしなく深く、静かで、尊い。

そこに少しでも触れると涙がとまらなくなる、その愛の深さに、貴さに、感謝があふれる。

 

だから、そのプロセスは、ちょっとしんどい時もあるけど、大きな大きな、これ以上ない祝福だと思って、ちょっと踏んばろう。