統合とは悦び

正直、統合が楽しいって話は最近までよくわからんかった。

最初の頃は、楽しいとか楽しくないとかでなく、必要に駆られてやってたし。でも外れることで、じぶんが穏やかに平和になっていくのは、良かったかな。心が荒れたり惑ったりしない方がいい。

この世界の美しさや心地よいモノ・コト、生きることの奥深さや愉しさに焦点があたり、どんどん深まっていくから。

 

でも、アセンションという言葉に一致しはじめて、そうなりたいとかそっちに行きたいとか、そういう心持ちになってきてから、統合がめんどうだとかしんどいとか、が出てきた。

統合が何か苦しいもののような捉え方。どこまでも上へ上へと続く階段を昇っていくような、そんな感じ。

だって、日々統合やん。出てこない時なんてないやん。それこそ毎瞬、何がしかある。

 

それを外さないと、いけない。

外さないと、アセンションとやらはできん。

なんというか、外すことが義務化してくる感じ?

だから、外す、を手放したりもした。

 

でもこれまた急にフッときた。

統合することで、源にまた一歩近づく、その感覚。そのことへの、魂がふるえるような悦び。

あぁ、統合することはわたし自身の悦びなんだと、心からそう言える、そんな状態。

 

ただ、還るだけ。

還る時間がきたから、そこに戻っていくだけ。

家に帰るとき、足は動かさないと家に着かないやん、その足を動かすのと同じ。

ただ淡々と外す。ウキウキ帰るために足を動かすのに、しんどいとかめんどいとかないのと同じ。

 

1週間ぐらい前から、外す、ということへのスピード感がすごく上がった感じ。

それをいちいち苦しいとかめんどくさいとかで捉えてしまうと、ほんとイヤになるんだろう。

上がっていく方に意識を向けるだけ。

 

出先でカエルも見るしな🐸

かえろっかって感じ。