わたしは2015年の5月までいわゆる”見えない”世界に全く関わりも興味もなく生きてきた。その代わり、と言っていいのかわからないけれど、徹底的にやっていたのが、”自分を生きる”、ということ。つまり、自分と向き合い、どうしたいのかを自分に問いかけ、自分がこうだと思う道を突き進む。
高校生のとき、いろいろあって学校に行けない日々が続いた。その中で向き合ったのが、何のために生きるのか、ということ。
2年半の中で自分なりに導き出した答えを手に大学に進み、それなりに学生生活を楽しみながら、時に悩みながら、自分の”こうしてみたい”という思いに沿ったら、結局卒業してすぐに進学も就職もせず、あるNGO団体のインターンをすることに。すると、そこでの体験でそれまで持っていた途上国の教育開発への興味が一転、日本の教育改革に情熱が向く。
とは言え、具体的にどうしたらいいのかわからないので、とりあえず就職するかと思って就職活動を始めたら、新卒枠にも中途採用枠にも当てはまらないので、応募する会社が限られる。せっかくなら教育業界がいいと選り好みするので、なおのこと。
ようやく、ここで働いてみたい!と思う会社が見つかったけれど不採用。ただ、面接での熱い想いが伝わり、特別にバイトで採用してもらうことに。
結局4ヶ月ほどで社員にしてもらえ、昇進もしていって最終的に5年ぐらい働くことになった。しかし、そこでのキャリアアップが自分の目的ではなかったとふと気づき、バイトに戻してもらって通信制の大学の教育学部に編入すると、わたしのやりたかったことはこれだ!と思うテーマが見つかり、キャリアカウンセラーの資格を取る。
そして、医師の転職支援の会社や大学の就職支援センターで少し働くなどいろいろあって、ようやく、自分のやりたい!と思うことを形にしていた会社と巡り合ってそこでバリバリ働いていたけれど、2015年に突然ミカエルが来て、結局その会社も5年で辞めることになる。
ぶっちゃけ、人生は行き当たりばったりで生きてきた。先のことなんて考えられず(悩みはしたけど)、指針は”自分がどうしたいか”だけ。それをやりきったから、ミカエルが来て、今度はそれを”見えない”世界との関わりの中でやることになった。
その、天と地がひっくり返るような変化への適応はめちゃめちゃ大変だったけれど、やっぱり言えるのは、自分がどうしたいか。
周りの人たちがみんなAだと言っても、自分がBだと思うならBを選ぶ。でも、それはBが正解でAが間違い、というわけではない。その逆でもない。だって人生に正解はない。間違いもない。ただ、自分がBだって思っただけ。だから、Bの道を行く。
もしかしたら、その途中で、あ、Aの方がいいかもって思うかもしれない。それならその時Aに行ったらいい。もしかしたら、その後Cが良いんだわ!って思うかもしれないし、急にYが出てきて、それ!ってなるかもしれない。
結局、正解も間違いもない。自分が「こうだ!」あるいは「こうかも?」って思う方向に舵をきると、それが自分にとっての【最善】になるだけ。それをするかしないか、やり続けるかどうか。
でも、そうやって、”自分がどうしたいか”に寄り添い続けると、すべてが自分にとっての【最高】に導かれる。
でもそうした選択は何も、人生の分かれ道でだけ起こるわけではない。今日どんな服を着たいか、昼ごはんに何を食べたいか、日常のあらゆる場面で起こっている。
そのひとつひとつに対して、”自分がどうしたいか”をじぶんに問いかけ、それにしたがう。その積み重ねが、あなただけの最高の人生を創りあげる。