とても自然に起こるジャッジ(判断)

ジャッジって言葉が結構厄介だと思ってる。日常で無自覚にしてしまうジャッジって、自分でジャッジしてるって思いにくいから。

 

例えばゲームをしてて、最初Aさんチームにいる人が、途中でBさんチームになるわって言う。ゲームを進めるうえで特に不都合はない。

でもその時に、Bさんチームが優勢に進めてたりすると、え、セコい/ズルくない?って思ったりする。なんかこの人ヤダな、までチラッと思ったらもう決定的。

自分の中に、その行為と"ズルい"を結びつける何かがあり、しかもそこに"イヤな人"という評価までくっつけてる。

 

「この人ってそういう人なんだ」とか「この人そんな風に思うんだ」とかいう言葉で、わたしたちは簡単に他人の方をジャッジする。「わたしはこの人をそんな風に捉えちゃうんだ」ではなく。

その人はどうでもいい、その人/その人の言動を通して"自分がどう感じたのか"が向き合うべき焦点。

 

ちなみに、ゲームの途中で優勢なチームにくら替えしたのは3歳の姪っ子。わたしが連続でかるたのカードを取っていたら、そういう行動に出た。

父親である弟は、裏切り者!って言ってたけれど笑、確かに社会にはそんな定義があるなと思った。

 

そんな社会の定義付けや価値観などに興味も関心もない彼女。自分に素直な人と一緒にいると気持ちいい✨