どんな感情も愛おしい

2015年にミカエルが来てから怒涛のようにエネルギーの世界、見えない世界に関わるようになったのは、過去のブログにも書き綴ったけれど、その過程でなかなか慣れなかったことがある。

それが、エネルギーが先で、現実が後だという事実。つまり、気持ちや意図・体感なんかが先にあって、それが後から現実となって現れる、ということ。

 

例えば、パートナーがいるから、ステキな住まいに住んでるから、幸せ、なのではなく、幸せだから、パートナーと出会うし、ステキなお家に住むことになる。

つまり、パートナーと出会ってなくても、微妙な住環境に居ても、幸せな状態に自分を持っていってるから、結果としてそうなる。

しかも、あくまで"結果として"で、パートナーと出会いたいから、幸せな状態に自分をもっていく、というのでもない。

 

ここがなかなか腑に落ちなかった。

というか、最初意味がわからなかった。

先に幸せな状態があるから、幸せなんでしょ?って。幸せを感じる諸条件があるから幸せを感じるはずで、それもないのにどうやって幸せを感じるんだと思ってた。

 

でも、いつの頃からか、エネルギーの方が先なんだという感覚がどんどん体に馴染んでいった。

わからないことは基本放っておく(一旦保留にする)ので、それも良かったのかもしれない。わからないという感覚や気持ちに集中しないから。

 

今では、みんなもっと意図の力を活用しようよと思うほど、自分が何に意識を向けているかに注意を払うようになった。

幸せになりたいからと言って、幸せを感じようとしても、そこには無理がある。

他意なく、心から純粋にそう感じる、自然にそう思える、そんな状態になるから幸せな現実が追いついてくる。

 

だから、自分が今何を感じているのか、どういうことに意識が向いているか、俯瞰するような視点がたいせつ。

浮いてくる感情や気持ちに振り回されると意味がないので、とにかく外す、というのもたいせつ。

 

だから、これはいかん!という時は外す方に意識を向けるけれど、感じるままに委ねることもある。

自分が何にどう感じているのか、その声に耳を傾けることで、自分が本当は何を望んでいるのか、わかることもあるから。

 

ただし、感情自体は掴みに行かない。あくまで、その感情が教えてくれることに意識を向ける。

 

そうすると、どんな感情も愛おしくなる。

何をどう感じてもいい、それはただ自分の状態を伝えてくれているだけだから。

どんな黒い感情だろうと、それは自分そのものではない。そして、ちゃんとその感情の奥にいる自分を見つめて、認めて、受け容れられたなら、そこに必ず自分自身の愛があるから。

 

わたしたちが愛してやまないのは、最高に幸せにしたいのは、他ならぬ自分自身。

そのことを感情は教えてくれている。